事と事の間にある間は無ではない。文字どうり「間」という余白なのである。

今日の気付き-190127
事と事の間にある間は無ではない。文字どうり「間」という余白なのである。条件反射的に発する言語ではなく、「間」で醸成された言語化を目指したい。

言語化の練習を開始した。言語化することにより、より自身の思考を錬ることができるし、クオリティーをあげる訓練になるから。
そうでなくても大量のインプット情報は流れてくる。むしろ、意識しないと、その流れに流されてしまう。インターネット、SNSの普及で、無自覚にひまな時間を消費させられている。現代人はひまな”間”を我慢できない。「間」を取ることの有用性を忘れてしまっている。昔は色んなシステムのスピードがもとゆっくりしていた。
以前、個人で光学設計会社をしている京都の会社へ出張したことがあった。計算につかっているPCはかなり旧式のNEC製のモノで、光学光線追跡シミュレーションがとても遅かった。会社で使っているZEMAXと比べるとおそらく100倍以上のスピード差があったように思う。しかし、計算している内容は大差ないので、ただ結果を得るまでの時間が大きく違うだけで、結果自体は同じになるだろう。
その時、ベテランのこのエンジニアは、計算している間に考える時間がある。描画されてくる光線をみて考えることができると話してくれた。
事と事の間にある間は無ではない。文字どうり「間」という余白なのである。条件反射的に発する言語ではなく、「間」で醸成された言語化を目指したい。

仮に社員がやりたいと言っても、「今日は早く帰りなさい」と言わなきゃいけなかったりする。

自分の働いている会社だけかと思っていたけど、こういう雰囲気が蔓延しているんだな〜と知った。そういうフレームワークはもう時代遅れなんだな。

「金払ってでもその仕事やれせてくれ〜」みたいな強いモチベーションしか、新に価値あるものは作れないってことだろう。組織が大きい、売上が大きい、実績がある、設備・インフラが整っている、高学学歴の人材を集めた.... みたいな外的要因では勝敗は決まらない。

そういう意味で、自分の仕事を振り返ってみると、結構自発的インセンティブで沢山仕事していたなと思う。残業バリバリやて、休出どんどんやっていたけど、誰からも「やれ」と言われた覚えはない。会社は変わっても、やっぱ自分にとってこのスタイルは正解なんだと、今自覚した。

「なんとなく」やりたいでやってきた事は、自分にとって全て正解!

他人の正解、世間の正解、会社の正解に惑わされるな!!

以下、キッカケになった、超為になる記事

↓↓

「昨今、労働基準法もすごくうるさくて、仮に社員がやりたいと言っても、「今日は早く帰りなさい」と言わなきゃいけなかったり。いったいなんのための会社という仕組みなのか、ということを思っていて。」

なぜホリエモンのサロンは成功した?

起業家らが絶賛する堀江貴文氏の場づくり術

https://logmi.jp/business/articles/237628?fbclid=IwAR1xpc3tnW6Zh-wsrYjD8-PeblUogBN_d91kJO8BvrqHhjpHTLtcBKY6A_g

 

だけど、その700万円でアニメの制作会社のところに発注に行ったりしていて、全員素人なのに途中を見せてもらったら、プロがつくるのと変わらないようなものができ始めたんですよ。仕事をやってる素人だけでつくってそんなことができるんですよ。

やっぱり、人ってモチベーションほど重要なものないなと思って、会社という仕組みが人のモチベーションを弱めてしまう仕組みでもあるなと同時に思っています。

 

村上浩輝氏(以下、村上):まさにサロンの話、すごくしたいなと思っていて。堀江さんがサイバーの藤田(晋)さんに「ホリエモンサロンの人は自分でお金払って、すごく能動的に献身的に動いてくれるから、(給料払って)会社やってる人はわけわかんないんだよね」と言ったというのをなにかで聞いて(笑)。会社をやってる身として(藤田氏)は「おっ、おう……」みたいな感じで答えるしかなかった、ということを言っていたんです。

会社をやってる身としては、昨今、労働基準法もすごくうるさくて、仮に社員がやりたいと言っても、「今日は早く帰りなさい」と言わなきゃいけなかったり。いったいなんのための会社という仕組みなのか、ということを思っていて。

 

佐渡島:だから、ホリエモンサロンにいる人たちは、みんな今まで自分になかった能力が発揮されて、「今までできなかったことができている」ということが喜びでずっとそこにいるんですよね。

村上:なるほど。

佐渡島:堀江さんが「いやいや、そのやり方、ひよってるだろ」とか、なにか駄目なことを言ってると「ダメ」、いいと「いいじゃん」と言って促進させる。ほとんど「いい」「ダメ」だけを言って、背中を後押しするだけという感じなんですけど。それがうまいんですよ。

 

井上:僕は今聞いていて、昔のことを思い出したんです。ドン・キホーテの創業者である安田隆夫さんに聞いたんですけど「ハードワーカーがいる会社も確かに強いけど、俺はもっと強い会社を知ってるんだ」と。なにかというと「ハードワーカーよりもハードゲーマーがいる会社が最強だ」っておっしゃったですよね。もうゲーマーになったら、やめろとか帰れって言ったって帰らないんだと。休みの日も家でやってるんだと。

「ゲーマーの集まってる会社ほど強いものはない」とおっしゃって。「ゲーマーにするには何をしたらいいかわかるか?」と言われて。おっしゃったのは、「ポイントを与えなきゃいかん」と。

 

 

佐渡島:すごく重要だと思いますね。だからホリエモンサロンでは六本木で祭りをやって、いくつもの場所でイベントをやるというのを、全部サロンのメンバーだけでやっていますね。代理店に頼むと数千万から億ぐらいかかるようなイベントを全部ボランティアスタッフだけで回していて、その仕組みが本当にすごいです。

でも、それを経験した人たちにとって、会社じゃ絶対に得られない自信を得させてくれた場所ってなっている。そのコミュニティに対する愛みたいなのがすごくて。ただ大混乱も起きてますけどね、いつも(笑)。

井上:グロービスに非常に似てますよね。このあすか会議も、生徒の方がやられてたりという部分で。

 

佐渡島:普通にやってると絶対起こり得ないようなことがいっぱい起きてたりするんだけど。こっちもサロンを観察したいからそれも楽しんじゃうからぜんぜんオッケーなんですけど(笑)。

村上:サロンの話を聞いたときに、堀江さん側とか運営側からすれば、たくさんの人が能動的にやってくれていいんですけど。ある種、ボランタリーの限界というか。仕事としてやっていない分、自分の興味があるところはワーっとやるけど、意思統一がうまく図れなかったり。

いざイベントをやるとなったら、本来は誰かが仕切らなきゃいけなかったりするはずで、ある種、軍隊的な会社組織であればバーッと指示がいって滞りなくやれる。そこの理想と現実のギャップがちょっとあるんじゃないかなと。

佐渡島:それは堀江さんが失敗を許容してるんですよ、会社じゃないから。だから、1回目とか別に失敗しても全然オッケーとしていて。誰が仕切る人かを決めないといけないっていうことを、ホリエモンサロンのなかでルール化されて、プロジェクトが起こると「はい、仕切る人誰?」というのを出してるんです。

村上:なるほど。

瞑想について

前から瞑想には興味があった。ヨガ→中村天風さん 繋がりで本を読んでみて、なんとなく理解できたけれど、実際にやってみると、〇〇でないといけないみたいな勝手なルールを自分でつくってしまって、なかなか続かなかった。

Googleでもマインドフルネスに注目して、社内でそれを啓蒙しているひとの翻訳本をよんだけど、自分にはしっくりこなかった。

この本にであって、著者の実体験から分かりやすく「瞑想」を解説してしていて、自分には腹落ちできた。

いつでも集中=いつでも瞑想。これをつづければ、確実に人生のQOLはアップするはずだ。後は実践あるのみ。

https://www.amazon.co.jp/からっぽ-10分間瞑想が忙しいココロを楽にする-アンディ・プディコム/dp/4777809854?SubscriptionId=0AVSM5SVKRWTFMG7ZR82&tag=booklog.jp-item-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4777809854

オンラインサロンとは何か?

こう考えることができるようになったのは、実際に西野亮廣エンタメ研オンラインサロンに入会して感じたこと。実際にやってみる学びって大切だな。

 ↓

宇野常寛の「オンラインサロンって、単なるインフルエンサーの集金装置」って、的を得ているな(^^)と思う。自分から能動的にプロジェクトへ参加する人にとっては会費以上の効果が見込めるけど、ロム専の人達は、ただ募金にお金を献上しているだけにすぎない。

〈HANGOUT PLUS〉田村健太郎×宇野常寛 オンラインコミュニティの行方

https://www.nicovideo.jp/watch/1542874022

西野亮廣エンタメ研究所オンラインサロン退会 20190115

西野亮廣エンタメ研究所オンラインサロン退会 20190115
最近話題の「オンラインサロン」を体験したくて入会。でも一ヶ月たらずで退会。
理由1:部活が突然リセットされた。これが一番のきっかけ。入会して直ぐだったので、とても唐突な感じがした。
理由2:西野くんの熱烈なファン以外はメリットが少ない
理由3:「えんとつ町のプペル」が良い絵本だと思えなかった。
理由4:西野くんは頻繁に発信している投稿にとても自身があるようだけど、自分にはそんなに質が高いと思えなかった。PLNETSチャンエルの方が安価で、ぜんぜん質の高い文章が読めるから。
理由5:今の会員数では東京以外の地域ではメリットが少ない。リアルオフ会は都会でしか開催されないので、その部分でのハンディがある。
理由6:単純に¥1000/月の価値が感じられなかった。

良かった点:
「新世界」等の本だけでは分からないニュアンスが少し分かった。
オンラインサロンを少し理解できた。
新しい実験場を垣間見る機会があった。

salon.otogimachi.jp

デッサンするということ-190109

例えば、ポットがある。
生まれた時には、ポットは知らない。成長していく過程で沢山のポットを見る、触る、使う、聞く、読む。
その経験の蓄積で、自分の中に「ポット」という概念が生まれる。
そうすると、「ポット」に類似した物を見たときに脳のなかにその蓄積から生まれた「ポット」という概念が
関連づけられて瞬時に頭に浮かぶ。さらに、物すらなくても、頭で思うだけでイメージが浮かぶ。
これは、単にオブジェクトとしての「物」以外にも拡張されていく。
それが、その人の思考、世界観。
ある本に、「リアルな世界と各個人の世界観とどちらが広いか?」という問いがあった。
答えは、リアルな世界。この世界が本当に「リアルな世界なのか?}という根本命題はこの際横に置いておく。
各人、自分の世界観がリアルな世界だと思って生活している。だから、自分と違う世界観に出会うと驚き、ある人は
拒絶反応を起こす。
話がそれてしまった。本題の「ポット」に戻そう。
例えば、目の前のポットをデッサンする時のことを考えよう。
「ポット」からの反射光が目の網膜に届いて像を結ぶ。視神経を通じて脳に送られる。そして脳は過去の記憶から
形成された「ポット」の概念を引っ張て来て、その概念とその像を見比べて対象を理解しようとする。
だから、実際には見合ていないポットの裏側まで想像して理解(いや、誤解か?)している。
そうすると何が起きるか?
リアルな物と自分のかなの概念とにズレが生じる。
だから、デッサンでは「実際の物をよく観察して、自分の既成概念との違いを常に確認して描くこと」が必要になる。
逆に、だまし絵ではないが、実際には見えていない世界をも鑑賞者に暗示させて脳であたかも見えているように想像させるテクニックが必要になる。
例えば、透明なガラスを通して対象を見ていたとすると、ガラスの反射が殆どない場合、目にはガラスは映っていない。
しかし、脳はそこにガラスが挟まっている微妙な像の特徴をとらえて、又は既存のイメージを参照することによってガラスがあると認識している。
だから、デッサンは写真とは違う。目は見えないものを見る。見えなくても、あたかもそこにあるように見ることができる。

そう考えると、この世界はまだまだ未知で溢れている。
インターネットが発達して、日々生成される情報量はある説では「現代人が1日で受け取る情報量は、江戸時代の人の一生分」らしい。
しか、逆にガラクタな情報ばかり溢れてしまって、むしろリアルから遠ざかっているのかもしれない。
以前、森博嗣氏が「黎明期のインターネトには宝の山だったけれど、いまはガラクタばかるり」、たからインターネトの情報は見ないというような趣旨の話をしていた。明らかに情報を発信する側の真摯さ、熱量が黎明期の方が高かったわけだ。
これに相通ずるのが、 宇野常寛の提唱する「遅いインターネット」の考えだ。
自分自身、SNSで非難中傷された経験はないが、それはかなり痛い経験らしい。

Google: 日の情報量は有史以来の情報量を超えた

2020年における全世界のデジタルデータ量は?
 https://www.otsuka-shokai.co.jp/media/byline/numbers/20160926.html
最近聞いた話で一番びっくりしたのは、現代人が1日で受け取る情報量は、江戸時代の人の一生分って話。
 https://twitter.com/ozawakaoru/status/935901528946126848
現代の日本人が1週間に受け取る情報量は、 17世紀のイギリス人の一生分に相当するのだそうです。 17世紀っていうと、江戸時代の初期。 イギリスでは、だいたいシェイクスピアの時代
 https://wakaba2525.hamazo.tv/e5997084.html

芸術家・豊かさについて

芸術家・豊かさについて
以前、西条先生が「作品を作っている過程では、皆が芸術家である」というような趣旨のお話をされていた。
今の世の中では、音楽家、絵描きにしても、それで生活できる人はほんの一握りしかいない。しかし、一流を目指して訓練する時間と費用は膨大である。しかし、一般の人からしたら、何年も修練を積んだ技術は十分に、その人達を豊かにして楽しませられるはずだ。実際、子供の中学で毎年開催される合唱祭は毎回感動させられる。
こんな日々の与え・与えれれる価値を何かのトークンに変換して、お互いに交換できるようなシステムがあれば良いなと思う。人は、特別な能力がなくても、日々周りの人達に価値を与えている。要は、それを受け取って、価値があると感じられる感性があるかどうかである。そうすれば、現在のお金に換算されていない価値を感じて、日々豊かさを実感できる人生をおくれるはずである。
日本は、そういう意味で、すでに十分豊かな国なのだと思う。ただそう感じられるかどうかの違いなのだと思う。