「やさしいC#」と「学ぶことは、考えることではない」

「やさしいC#」はC#学習の為に、最初に本屋で買った本。
その後、「10日でおぼえるC#入門教室」、「Visual C# 2013 パーフェクトマスター」、「C#によるコンポーネントプログラミング」:古本、「Visual C# 2005 実践プログラミングテクニック」:古本 と購入。


「やさしいC#」は、空のプロジェクト/コードファイル/参照の追加 を手動で作成する構成になっていた。
通常は、テンプレートを使って、Windowsフォームアプリケーション等からスタートすると、自動にコードを作成して、それなりの構成がいっぺんに出来上がってくる。しかし、この本の方法では、全て自分で追加していくので、最初は分かりにくかったが、理解してくるとこのような方法もプロジェクト構成の成り立ちをステップバイステップで勉強するのに有用だと分かっていきた。


以下の記事に「学ぶことは、考えることではない」とある。
「やさしいC#」の各章の終わりにある、練習問題をばかにしてとばして前へ進んでいた。
しかし、もどって実際に練習問題を解いてみると以外とてまどった。
あげくの果てに、回答に間違いがあることを発見した。
この間違いのおかげで、ずぶ自分の頭で考えた。実際には、ずいぶんGoogle先生の世話にもなった。
しかし、この経験はVB6を仕事の実践の中で参考書をすこしづつ実行して習得していった過程ににていると思った。あのころは、時間に余裕があり、ほぼ時間無制限に試行錯誤を繰り返した楽しい時間であった。



「学ぶことは、考えることではない」
https://cakes.mu/posts/6180

森博嗣
2014年8月1日
折にふれて「考えることの大切さ」を伝えてきた森博嗣さん。しかし、多くの人は「考える」ことを「学ぶ」ことと混同しており、その本来の意味に気づいていないのだそうです。森さんが考える、「考える」と「学ぶ」の違いとは? 8月8日発売予定の森博嗣さんの新刊『素直に生きる100の講義』(大和書房)のダイジェストを、cakesでいちはやくお届けしていきます!
「考える」ことが大切だと何度も書いている。子供のときには、考えることは、勉強しているときに多かったのかもしれない。それで、多くの人が、勉強することが考えることだと勘違いしている。

たとえば、本を読んだり、授業を受けたり、そういった「学び」が大切だ、というふうに誤解されている。僕が「考えた方が良い」と言っているのは、それとはまったく違う。

学びというのは、情報を受け取ることである。つまり、なんらかの知に触れて、そこから自分に必要なものを得る、という行為だ。これは、ものを食べるのと同じであって、書物は食べ物であり、そこから得られる知識は栄養のようなものだ。

しかし、考えることは、そのような「得る」行為ではない。むしろその逆で、自分から発する行為なのだ。これは、運動に似ている。頭脳を使って、エネルギィを消費する。だから、考えるとお腹が減るし、また、考えると知識を欲しくなる、という意味での空腹も感じるだろう。

考えずに知識ばかりを吸収していると、知識の肥満になる、と僕には見える。そういう人がけっこう多い。頭脳が太り過ぎると、思ったように頭脳を働かすことができなくなって、自由に考えられなくなる。日々適度な頭脳の運動が必要だということ。

たぶん、頭の老化についても、考えることが一番良いと思う。周囲を見回してみると、考えている人は何歳になってもボケない。僕の身近では、今のところ例外がない。もちろん、病気は別である。これは、毎日運動をしていても体力が保てなくなる病気と同じだ。だから、絶対にそうなるという話ではなく、傾向が強い、という意味だ。

多くの人(特に老人)は、ボケないようにと文化教室に通ったり、本を読んだり、という「学び」を始めるのだが、その学びの過程に、「思考」があるかないか、が重要だと思う。それがなく、ただ覚えよう、身につけよう、としているとやはりボケる。それは、思考ではない。頭を使っているようで、実は使っていない、ともいえるかもしれない。

老人ばかりではない、若者も子供も、学ぶことに気を取られていると、結局は頭の働きの一部を使っているだけになる。では、考えるとはどういうことか。たとえば、科目でいうと算数や数学だけが、少し「考える」運動になる。でも、さらに良いのは、「図工」のような科目だ。国語でも、作文は良いかもしれない。ようするに、ものを創り出すことが一番「考える」に近い活動なのである。