若の読者のためのサブカルチャー論講義録を読んで-180411

若の読者のためのサブカルチャー論講義録を読んで-180411
宇野常寛 著

講義されているサブカルチャーには、どちらかというと疎いほうで、この作品を読むことによって初めて聞く作品も沢山あった。
人気コンテンツであても、リアルタイムでは見ずに、かなり時間が経ってから見る場合の方が多いかもしれない。又、娘が中学生で毎週のようにレンタルDVDを借りに行ったり、2Dアニオタである為に自分が積極的にみるコンテンツでなくても、娘が見ていて間接的に見たり知ったりするケースも多々ある。例えば、「銀魂」、「おそ松さん」、「軽音」などである。
これらの作品に間接的に接すると、正直何が面白いのだろう??というのが率直な印象である。しかし、宇野氏の批評に接すると、時代の文脈から作品を考察して読み解いていて、大人にも理解しやすい内容になっていた。
本のタイトルに、「若い読者のための-」とあるように精華大学での講義として若い大学生に語った内容になっている。なので、むしろ私よりも受講対象者はこれらのサブカルチャーコンテンツに馴染みがない世代であり、それ故により詳しく説明してあるのがとてもよかった。
こうやって、過去のサブカルチャーを振りかえて俯瞰して考察する作業は自分自身したことがなく、コンテンツを消費している時点ではほとんど何も考えて見ていなかった。作者の意図するしないにかかわらず、作られる作品と時代、社会、場所等の環境は密接に関係していて、ユングの言う集団的無意識がコンテンツとして表出してきているのだないうことを改めて強く感じた。
エヴァンゲリオン」最終話を自己啓発セミナーと評したのは、言い得て妙である。
まだ読了したばかりで、自分の中で消化しきれていない。時間をかけて醸造していくうちに何かしらの化学反応が起きてくることを期待している。
次は、同著作者の「母性のディストピア」を読んで、さらに詳しい戦後アニメ論を探求してみる予定である。
追記:
近年、老眼で本を長時間読むことが大変になってきてる。そこで、iOSの基本機能である文章読み上げ機能+Kindle版書籍でこの本を全編読んだ(いや聴いた)。
文章を一回目で文字化してから脳が音声に変換してから認識するよりも、直接音声から脳にインプットすることにより、よりプリミティブに脳に作用したような気がする。