事事無碍法界→テクノロジー支援によるダイバーシティーの向上

事事無碍法界

非日常的な場にアクセスすることにより、自己の新たな感覚器官のアップデートが行われているのだろう。

 

事事無碍法界とは?

http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-551.html

ホログラム的な場の多重情報交換

ダイバーシティ

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《「ダイバシティー」とも》

1 多様性。相違点。

2 企業で、人種・国籍・性・年齢を問わずに人材を活用すること。こうすることで、ビジネス環境の変化に柔軟、迅速に対応できると考えられている。

3 携帯電話などで、複数のアンテナで電波を受信し、受信状況の良い方を使う技術。

 

現在の教育はコストに見合う効果を得られにくい。

ここ100年の近代社会に適応するために最適化された教育システムの改良が望まれる。

鹿島学園のフェローコースはユニークな試みである。テクノロジーが個々の個性(一般的には発達障害と認識されている)に寄り添った教育に貢献できないだろうか? 「デジタルネイチャー」の世界は、その可能性を感じさせる。

例えば、あらかじめ手続き、予定がはっきり決まった行動しかできない。突然席を立って辞書をとりに行ってしまう。

時間、時系列の行動、時間の観念が普通の人と違う。例えば、予定された開催時間にどのように時間マネージメントして行動すれば良いのか分からない。イメージ出来ない。手荷物を自分の周囲に発散させて置いてします。整理、取捨選択できない。

これらのダイバーシティーをテクノロジーでどう吸収できるか?

発達障害の彼等からしたら、学校はとてもストレスの多い環境なのだろう。

彼等の行動に対して、腹立たしくストレスを感じている教師は多いはず。

生徒、教師がお互いにWINE、WINEになる関係の模索

これは、お金という対価を支払っているとはいえ、あまり価値的、効率的ではない教育システムである。

お互いに違うロジックで動いている人間同士を無理に同期させるのは不合理である。

ある意味、不登校の原因はこの不整合なシステムに対する子供達の自己防衛本能が機能している結果であるといえる。

 

テクノロジー支援によるダイバーシティーの向上

ヒント:

授業をエンターテイメント化する。

相互に教え合う。

科学的実験:体験型学習 → そこから発展させて必要な知識を習得していく。

 

 

個々人に最適化されたナビゲーションシステム。支援システム。

パニック。困った。問題発生。突発的な事件、自己。 → 例:定期パスが切れていて電車に乗れなかった時の対応 等

 

高校生までの年齢の生徒に対しては何かしらの受け皿:教育機関が存在する。

しかし、それ以後の高等教育課程は現在殆どない。少人数の生徒に対して教育者が半ばボランティアで教育にあたっている。

 

そこで、問題なのは、社会的価値とはなにか?

金銭に交換可能な価値を生産できない人間に対して、それを無価値だと判定しないシステム。それらをも内包して動く新たなエコシステムが必要なのだろう。