「東京ユートピア」寺田悠馬 著-190922

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東京ユートピア


「東京ユートピア」寺田悠馬 著-190922

この本を知る切っ掛けは、佐渡島庸平さんの「ぼくらの仮説が世界をつくる」で、寺田さんが紹介されていたからだ。ほんの数行しか書かれていなかったが、佐渡島さんと一緒に仕事する様なひとならきっと興味深い人だと思って読んでみた。

高校から海外の学校に留学して、その後外資系の金融系会社に努めた経験をもとにした、日本人としてのアイディンディディを持ちながら日本人からみたら「ガイジン」である友人たちとのエピソードをもとに書かれていた。
その人の考え方の基礎は、やはり環境に負うところが大きい。自分は生まれてからずっと浜松で暮らして、一歩も県外、海外で暮らした経験がない。しかし、二十年以上前に初めて中国を一人で二週間個人旅行した時の強烈な体験は今でも心に残っている。ましてや多感な十代で海外で暮らした経験を持つということは、自分にはないユニークな経験、発想が生まれて当然であろう。

日本のマクドナルドとアメリカのマクドナルドの違いについて書かれていた箇所はとても興味深い。アメリカの今の店舗の状況は実際知らないので、筆者の比較は体験者ならではの説得力がある。もう何十年も日本のマックへ行っていない。ウインドウ越しの様子やTVの情報でしか知らないのだが、恐らくしっかりしたマニュアルと訓練システムによって快適なサービスを提供していることだろう。

確かに、日本人は仕事にたいして賃金に対する労働という価値以上のものを持っていると思う。いい加減な仕事や、不親切な対応をするほうが返って罪悪感をもっていごごちが悪くなりそうだ。

自国の文化や思考方法について言語化する習慣があまりない。英語の外人教師に日本のことについて、何故と問われると答えに仇してしまうことがよくあった。そんなこと、考えたことのなかったというのが正直なところだった。理由なんてない。ただ、なんとなく。
でも、それでは異文化の「ガイジン」には伝わるはずもない。

コロンビア大学に筆者が学んだころの体験が書かれていた。「コア・カリキュラム」。
所謂、リベラルアーツのことだろう。
かつてスティーブ・ジョブズは、パーソナルコンピュータをリベラルアーツとテクノロジーの交差点にある自転車のような物に喩えた。広範な知の蓄積と歴史を教材に、異なる人達が議論を交わしてお互いを、そして自分自身を客観視する訓練が必要だ。その経験に真摯に向き合う中で、我々のなかでかたちを持たない「言語化」できないでいる何かを再認識できるのだろう。

 

https://www.amazon.co.jp/東京ユートピア-日本人の孤独な楽園-寺田-悠馬/dp/4286102033