自由とは?

今日の気づき

今日、A装置で測定をしていた。
製品を置くところがないので、いつものA装置の上に製品を置いて測定している。
確かに、A装置の上には「物を置かない」と書かれている。
でも根拠があるのかは、なはだ疑問に前から思っていた。
だから、いつも無視してA装置の上に製品を置いて測定していた。

決められたことに、何も考えずに従っていればOKという風潮に
ますますなってきている。
危うい、本当に危うい! と感じた。

見回り隊の人(風紀委員みたいな人)からの注意だろう。
それを受けて上司が注意したのだろう。
上司に、「根拠は?」と尋ねたら貧弱な回答があった。
私は上司よりも10倍はこの装置について熟知している。
なので、その根拠は間違っているとハッキリわかる。

ルールさえ守っていれば安泰。
ルールさえ周りの人と同じように守っていれば
理由など無関係に良しとされる会社は
とても危うい。

でも、今 社会もそうなっている。
例えば生命の危機に遭遇した時、そう決まっているからという理由で危険な方を選択したら
どうなるのだろうか?
だれも責任はとってくれないし とれるわけもない。
神様じゃないんだから!

会社という「村」では、理由に関係なくルールを守る人が「善」で守らない人が「悪」と決まっている。

昨今の企業の不祥事も、会社の現場の人は分かっていてやっているか、問題という事すら
気づかずにやっているのだろう。

真実の「正義」は無いとしても、最低限のモラルは自然にもっておきたいものだ。
しかし、ある社会における「普通こうでしょう!」ということが=モラルになった社会
では境界線が消えてしまって見えない。

よくデッサンをしているときに、あるがままに対象を観て、自分の直感に従うように言われる。
デッサンが間違ているか合っているかは、直感は既に知っているということだ。
でも、もろもろの雑念がそれを歪めてしまうので、あるがままに観ることができない。

いろいろな意味で、あるがままに観るための訓練を積んでいく必要があると痛感した。

 

 

 

●new2_日々のヒント-191017b2020年03月16日 11時17分 より
・面白そうな人達のSNSをウオッチしていりと、とても興味深い面白いタメニなりそうな情報が多く発見できる。

でも、それに満足して 振り回されていないか?
デッサンの時 ちょっと引いて眺めるような習慣を取り入れないと 危うい!

こうして 立ち止まって 換考する合間を作ることが大切。