分光器開発を再び思い出してみた

以前にこのブログでもPMT用の分光器開発についての雑記を書いた。


滋賀の分光器設計者の自宅兼会社へ出張したのが2005.01.14。
試作機が出来たのがおそらく2007年。そして製品化認証が2011.04。

 

こうして振り返ってみると約5年間、集中的に分光器開発、製品化に携わっていたたの分かる。2011.04には吸光ユニットのプロトⅠが完成しているから、実際はもっと短かったのだろう。

 

こうやって振り返ってみると、今自分に残っているのは”暗黙知”という部類の価値なのだと思う。

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分光器

 

 

http://lingmu0788.hatenablog.com/entry/20180101/1514796736

その次は、開発が進んでいなかたPMT用分光器の開発を前任者が退社するに伴い、これも又、お前がやれということになり、イチから分光器を勉強して、ついには本質を習得して、基本光路シミュレーションを理解して製品として完成させた。

 

http://lingmu0788.hatenablog.com/entry/2019/01/27/212536

以前、個人で光学設計会社をしている京都の会社へ出張したことがあった。計算につかっているPCはかなり旧式のNEC製のモノで、光学光線追跡シミュレーションがとても遅かった。会社で使っているZEMAXと比べるとおそらく100倍以上のスピード差があったように思う。しかし、計算している内容は大差ないので、ただ結果を得るまでの時間が大きく違うだけで、結果自体は同じになるだろう。
その時、ベテランのこのエンジニアは、計算している間に考える時間がある。描画されてくる光線をみて考えることができると話してくれた。
事と事の間にある間は無ではない。文字どうり「間」という余白なのである。条件反射的に発する言語ではなく、「間」で醸成された言語化を目指したい。