「ファインアート」-191208

「ファインアート」-191208

 

ちょと前に、「私はアーティストになる」と決めました。そう決める前のアートとう言葉に対するイメージは、今にして思い返すと、所謂「ファインアート」だったのだと思います。
そもそも、「ファインアート」という言葉自体も、デッサンを勉強するようになって初めて耳にするようになった単語でした。

最近、テレビのスイッチインタビューでヨシタケシンスケさんと梅佳代さんが対談している番組をみました。ヨシタケシンスケさんの作品は、娘が借りてきた絵本をみてしりました。梅佳代さんは以前から面白い写真だなーと、好きで写真集をみたいました。

ヨシタケシンスケさんは対人間関係が苦手な人で、一人で面白いと感じたことを、こしょこしょと小さなイラストと文章で記録したストックを集めて本にしたとう作品制作スタイルのようです。

美術系の大学に行って、あまりに質圧が弱く、デッサンという対象を正確に写しとるという作業がとても苦手だと気づき、逆にできる制作方法としてペンでモノを見ないで描くスタイルをみつけたらしいです。

ファインアートととはとても離れた、ニッチな制作スタイルで自分の思う面白さを表現しているのがとても良いと思った。

これでも、いいんだ!

アート=ファインアートとう思い込みが少し解けて自由になった気がします。

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ヨシタケシンスケさん

 

「年金2000万円不足問題」2-101201

「年金2000万円不足問題」2-101201

 

この、「年金2000万円不足問題」が話題になっていたのは知っていたが、その発端となった国会答弁はまったく見たいなかった。
これが、共産党が質問した一例:
https://www.youtube.com/watch?v=pp3hsB1-Fo4

今、あらためてちゃんと見てみると、
「日本は老後、年金だけでは生活できないような国なんですか?」とう質問だが、そんなの当たり前の事実である。人により経済状況は様々で、一概にいえないが、平均的なサラリーマン世帯で一度でも資金を試算したことがある人で、老後年金だけで生活できると考えている人は少ないはずだ。
事実、自分も試算してみて、年金だけでは最低限生きていくだけくらいしかないと実感した。

そもそも、この年金制度は高度成長期に策定されて、その後人口比率の変化、物価上昇とうの大幅な変化はみこまれていなかった。そこで、段階的に年金制度が見直されて現在の形になている。

冷静に考えて、老後公的年金だけで十分生活できる国は、社会保障制度の充実している北欧くらいだろう。しかし、北欧ではそのために非常に高い税金を負担することを国民が合意している。

今回の国会答弁では、負担は増やさずに保証だけ十分にするという、まさに夢物語を政府に要求している内容だ。

親方日の丸。お上に任しておかば大丈夫。国がなんとかしてくれる。

今回の問題の発端となった金融庁の「高齢社会における資産形成・管理」の報告書は、国民に正直に現状を説明して、そのための対応を準備して下さいよという良いきっかけになり得たはずだ。

ファイナンシャルリテラシーこそ、学校で教えるべき教養だと強く感じた。

「老後2000万円」-191130

「老後2000万円」-191130

投資セミナーに参加して、ファイナンシャルリテラシーの欠如を痛感した。


令和元年6月頃に金融庁から発表された、「高齢社会における資産形成・管理」の報告書が国会でとりあげられて話題になった。正直、また年金不安をあおる野党やマスコミの為にする騒ぎだと、あまり中身を確認ぜずにいた。

 

今回の投資セミナーで経験豊富な金融のプロである講師の方が、長寿をみこして老後の資金確保への注意を換気する意味で、この報告書をとても評価していた。それを聴いて正直驚いた。
そもそも、この報告書を自分で読んだわけでもなく、テレビ等の騒ぎを横目で見ていた程度の情報で判断していた。無知とは恐ろしいことだ。

 

無知をあおるマスコミも、無知な民衆も両方哀れである。無知な民衆ほど権力者にとって都合のいいものはない。

もっと無知の知を自覚して、自分で学んで判断、選択できるようにならないと痛感した。

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最近、デサインやデッサン関係のコンテンツをfbでアクセスしていたら、以下の広告が出てきた。

多分、過去の情報から見込み客としてターゲットになったのだろう。

とりあえず、この手法を学ぶために登録してみた。

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ペルソナ-191102

ペルソナ-191102

「ペルソナ」という単語は、ジョン・キムさんの本で初めて知った。
「媚びない人生」ジョン・キム 著
p30
ある段階から親を意識したり、社会性を身につけるための教育を受ける中で、自分のポジションを考えるようになる。
周りに評価された形容されたるする中で、社会的に生きていきやすい自分を作り上げていくのだ。私はそれを、ペルソナと呼んでいる。


「究極のペルソナは自分だ」佐渡島庸平さん
を読んでいたら、「ペルソナ」という単語がでてきた。
https://bit.ly/2C0G0qD
↓引用
気になったフレーズ:
誰に何を伝えたいかって考えるとき、よく「30歳男性で、起業に興味があって」といったようにペルソナを考えるじゃないですか。
これ自体はすごく大事なことです。でも、ペルソナってやっぱり「知らない人」に過ぎなくて。自分の知らない人に深く何かを伝えるって難しいんですよね。
だから、実在するたった一人を思い浮かべたほうがいい。そして企画がうまくいくときって、そのたった一人が「自分」であることが多いです。
「自分」は一人しか存在しないけど、いろんな時間軸で見れば何人もの自分、ペルソナがいる。あの頃の自分なら、何という言葉をかけてほしいか。企画って、そうやって自分に長いラブレターを書くようなものなのかもしれません。
ペルソナとは、企業や商品の典型的なターゲットとなる顧客像のことです。ペルソナで定められる顧客像には、氏名や年齢、居住地、職業、年齢、価値観やライフスタイル、身体的特徴までのかなり細かい情報が盛り込まれます。


「本当の自分」と向き合う。そして、自分が自分にラブレターを書く。

ゲゲゲの女房を観ていて、「テレビくん」を産み出す時のエピソードが面白かった。熱中、熱狂、集中。これだな!と思った。
偽りのペルソナを脱ぎ捨てて、「本当の自分」と向き合う。
島田紳助さんの「自己プロデュース力」で言われていた、自分のX+Yを見つける。
このX=自分に何ができるのか? が「本当の自分」と向き合うことによって見えてくる。

 

「ペルソナ」をググってみた。

https://ferret-plus.com/words/2080
元々は古典劇における「仮面」や心理学で人間の「外的な側面」を表す言葉でしたが、それが転じてマーケティングにおいては上記のような意味に用いられるようになりました。「ペルソナ」という言葉が現在の意味で用いられたのは、最初はコンピュータのソフトウェア開発において、そのソフトウェアを利用するユーザー像を明確にする、ということろから始まっています。


https://ja.wikipedia.org/wiki/ペルソナ_(心理学)
ペルソナ(英: persona)とは、カール・グスタフユングの概念。ペルソナという言葉は、元来、古典劇において役者が用いた仮面のことであるが、ユングは人間の外的側面をペルソナと呼んだ。
概要[編集]
ペルソナとは、自己の外的側面。例えば、周囲に適応するあまり硬い仮面を被ってしまう場合、あるいは逆に仮面を被らないことにより自身や周囲を苦しめる場合などがあるが、これがペルソナである。逆に内界に対する側面は男性的側面をアニマ、女性的側面をアニムスと名付けた。

男性の場合にはペルソナは男らしさで表現される。しかし内的心象はこれとは対照的に女性的である場合があり、これがアニマである。逆に女性の場合ペルソナは女性的な側面で表現される。しかし、その場合逆に内的心象は男性である場合があり、これがアニムスである。ペルソナは夢の中では人格化されず、一般に衣装などの自分の外的側面で表されることが多い。

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媚びない人生

 

自分の好きなこと-191101

自分の好きなこと-191101


何が本当に好きなの? と自分に問いかけてみる。でもすぐに答えられない。
長く生きているあいだに、いっぱいいっぱいホコリやゴミが堆積していって、底にある「好き」が見えなくなっている。
一時期、モーニングページを毎日つづけていた。そのなかで、思いついたことを脳をできるだけ介さずに文字に書いていく練習をした。最初は書くのに時間が掛かって、内容もおなじような事の繰り返しが多かった。しかし、とにかく毎日つづけていくと、次第に要領を得てきて、どんどん書くスピードが速くなった。しまいには、書くのがわいてくるフレーズに追いつかなくなっていった。

モーニングページはこの本で紹介されているメソッド→
「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」 単行本(ソフトカバー) – 2001/4/16
ジュリア キャメロン (著), Julia Cameron
https://amzn.to/324YTTN


モーニングページを書いて出てきた、自分の「好き」のなかの一つは絵を書くこと。

小学生の頃は好きなマンガのキャラクターをお絵かき帳に模写していた。タイガーマスクなどは描く順番も決まってきてパターン化して図形みたいに短時間ですらすら描いていた。

自分は絵を描くことが好きと分かって、次にもっと自分が思ったような絵を描けるようになりたいと思った。そして、絵の基本であるデッサンを本格的に習おうと考えた。でもそう思ってから2−3年がまたたく間に過ぎていった。

ついに約三年前にデッサン教室に通い始めた。今、三年前の自分のデッサンを見るとへただな〜と直ぐに分かる。では、今のデッサに満足しているかと言うと全然そんなことはない。不満だらけである。

確かに三年前の自分のデッサンと今のデッサンを比べれば、今の方が上手いといえる。しかし、そういった技術的なデッサン力よりも自分が進化したと実感することが別にある。

それは、世界のとらえかた、見方が以前より丁寧で深くなったことだ。なんの変哲もない日常の風景、例えば通勤する道の毎日目にするほとんど同じ様な風景の見え方が違ってきたのだ。
なにげない風景をみても、そこに興味がわいてくるのだ。面白さをみつけられるのだ。
これは、別の言葉でいえば以前より感性が豊かになったと感じるのだ。

”ゆたか” とは別にお金が沢山あるといだけではない。

これからの人生 ゆたかさ、楽しさ、面白さ、しあわせさ を追求していこうと思う。時間は限られている。
この目指すべく方向にまっしぐらに時間を使っていこうと思う。

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スケッチ:柿

 

「やりたいことドリブン」-101022

ブログ :「やりたいことドリブン」-101022

 

ドリブンとはなにか?

以下、ネットで検索した用語の説明
driven(ドリブン)はdrive(ドライブ)の過去分詞であり、形容詞では「突き動かされた」の意味で使われます。

程度や度合いの差はあれ、心の中からわきあがってくる気持ちを指しています。「やる気がある」と考えてもいいと思います。

特に様々な名詞と組み合わさってtech-driven(テックドリブン)やdata driven(データドリブン)といった表現がよく見られます。
https://talking-english.net/driven/

 


プログラミングでイベントドリブンという用語がある。最初に自分が「ドリブン」という言葉に触れたのはこのプログラミング分野である。

以下、ネットで検索した用語の説明。
イベントドリブン 【 event-driven 】 イベント駆動型
イベントドリブンとは、コンピュータプログラムの開発および実行方式の一つで、利用者や外部の別のプログラムなどが引き起こす出来事に対応する形で処理を記述あるいは実行する方式。
http://e-words.jp/w/イベントドリブン.html

自分の経験では、古くはQickBasicそしてVisualBasicでプログラミングした。
昔のプログラミング(例えばN88BASIC)では、コードの上から下に流れていくフローを順番に実行していく方式であった。それが徐々にユーザーが任意のタイミングであるイベントを発生させるとそれに従った動作を発生させるイベント・ドリブン型のプログラミングに進化していった。

何が自分を突き動かしているのか?

過去の会社での仕事のケースで振り返ってみた。
入社して最初に配属された部署は検査だった。製品の最終検査をして顧客ごとに選別して出荷部署に入庫するのが主な業務だった。検査は現在の様に自動化されていなかったので、ほぼすべてがマニュアル操作による検査作業だった。
実際には朝から晩までひたすら検査装置に製品をセットしてマニュアルで検査する繰り返しだった。慣れてくると単純作業の繰り返しで、とても退屈な作業になる。
一時は転職しおうかとも考えた。しかし、先輩に相談してもう少し頑張ってみようと考え直した。
いまの仕事のなかで、「もっと面白くできることはないか?」と考えて、いかに効率的に測定するかとか測定器の自動化にとりくむことにした。これはだれに指示されたわけでもない自発的な取り組みだった。
その時々で取り組む内容は変わっていったが約40年それをつづけてきた。

ふりかえってみると、みずから問題を発見し、みずからが仕事を作るというスタイルを作ってきた。

私の「ドリブン」は、みずからが面白いと思うことを、みずからが仕事にしていくという事。

次のフェースの「ドリブン」をもとに行動を始める時期にきているのを感じている。

 

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VB