素直に生きる100の講義

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失われた機械技術について。

つまり、現在の技術というのは、少々洗練されたいなくても、最適ではなくても、答えが出れば良い、といった「醜さ」を抱えているのだ。



確かに、「本文で触れられている幾何学的問題が、全て代数的に解決できるかに見える」というのは言えていると思う。

例えば、光線追跡計算があっという間に出来るZEMAXのようなソフトはコンピュータの得意分野である。光学の理論はかなり昔に確立されていて、その後大きな進歩はないように見える。近軸理論は、計算が大変だった時代に、計算を簡単にできるようにある光軸近傍にだけ注目して作った理論だ。ZEMAXで最適像面位置を計算させると、近軸像面位置よりも手前になることが多い。もちろん、近軸理論を考えた当時の人もそのこてとは百も承知だっただろうが、実際上の計算では近軸理論がうまく機能していた。
コンピュータの計算処理能力が飛躍定期に向上したも、光学系の自動設計はいまだに使い物にはならないレベルだ。あまりにも自由度が大きい計算はまだ負荷が大きすぎるからだろう。カメラレンズの古典的な配置である、ガウス型(絞りの左右に対象なレンズ群を配置する)は、おそらく最初直感的な思いつきで発見されたのだと思う。

数学、理論物理学を研究している人達は、式の美しさを追求してい人も多い。E=mc^2というアインシュタインの計算式はとてもシンプルで美しい。森氏の言葉を借りれば、現在の解法は「醜さ」を内包していることになるだろう。

このエッセイを読んで、最近のTAKE-SPACEとの関わりで、何か自分で作る物を考えた時に浮かんだアイデアを思い出した。
光を昔し計測した方法、浮力を計測する実験機を作成した方法に魅力を感じるのは、アナログチックな匂いがするからだろう。

大切なのは、知識を詰め込むのではなく、経験値を積むことにより、内部に腑に落ちる種を沢山ストックして、脳内の関連的ひらめきを待つことなのだと思う。
時おり、フラッシュのように発光しては、瞬時に消えていってしまう瞬きをどう掴むか? 凡人の自分には、なにかしらの方法論が必要なのだと思う。

それば、長年おいもとめている外部思考補助機器、MEMEXのような物の必要性である。今はないが、自分的にとても欲しい物である。
無いなら、自分で作り出す以外に道はない。もしかすると、既に世界の誰かが作っているかもしれないが、自分の手の届くところには、今のところ見当たらない。
誰か既に作っていなかどうか探すのは程々にして、自分で作ることに集中してみることの方が価値的であると思う。