使い込む喜び

スマートフォンに代表される、ガジェットが昔から好きで、色々と買ってきた。
しかし、残念ながら現在まで使い続けている端末はない。
ザウルスなどは、その当時としては画期的で期待していたが、結局使いたいから使っているといった感じであった。

PCのOSにしても、もうじきサポートが終了するWindowsXPを会社でも自宅でも使いつづけている。
それなりに、最新OSにすれば便利な機能も多いのだろうが、自分が馴染むのに時間が掛かるので、結局使い捨てになっていく気がする。そもそも、PCでたいした事は出来ないので、バージョンアップの度に使い方を覚えていたのでは効率が悪すぎる。
例えば、ピアノにしても長い年月の修練を我慢して続けるのは、習得したあかつきに、あるていど自由に音を奏でられるから練習するのだろう。一年もしたら、また使い方が変化(たとえ使い勝手が向上したとしても)して、一から覚えなければいけないとしたら、覚えようとする人などいないだろう。

例えば、使い込んだ万年質などは、モデルチェンジなどせずとも(むしろかわらないスタイルが良い)、多くの愛好家を獲得している現実がある。

そこまでこなれたIT端末が出来るのはいつの日だろうか?
モデルチェンジなしの、むしろ不便なところのある、愛らしき道具こそが、人間にとっての友となりえる端末なのだろう。

人間というのは、むしろ機能が限定されていた環境の方が想像力を発揮しやすい動物ののうな気がする。