enchiantMOON予約まじか(4/23)

昨日、以下に紹介されていた雑誌を購入。
「SoftwareDesign誌で新連載「enchant 想像力を刺激する魔法」がスタートしました」
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20130419/1366354764

初めて、パーソナルコンピュータ:PC-8001に触れた時の感動が再びよみがえる
可能性もある。発売が楽しみだ。

ローンスター / 旅の始まり」
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20130420/1366459464
ところがなかなか市場に出ない。
 NECほどの企業となると、工場のラインを確保し、動かし、事業として回すための最低限要求される事業規模が数十億になってしまうのだ。連結3兆1千億円の会社だから、開発に数億かけて売上げが数億円、というのでは話にならない。
 そこでどうすれば数十億円の事業にできるか、その具体像を探るために膨大な時間がかかることになる。僕が最初に話をしてから、既に数年が経過していたし、その遅々とした進捗状況を誰も嬉しく思っていないことは明らかだった。
 数億円規模の事業でもいいからまずは立ち上げてみよう、という発想が巨大な会社ではなかなか芽生えにくく、理解されにくいのだ。

 確かに。3兆円規模の会社にしてみれば、100億円稼ぐ部署と5億円しか稼がない部署、どちらも同じコストで維持するのだと聞いたら、5億円しか稼がない部署に人員も予算も割り当てることはできないだろう。たった1%利益をあげる努力をしたとしても、かたや1億円、かたや500万円しか稼げないとしたら、これは資本の無駄遣いだ。
 つまり、需要が全く予測できない、あったとしても数億円規模しかないであろうハードウェアの開発そのものが、「大企業でやることが不可能」な仕事なのである。


そうしたパラダイムにおいて、手書きというのはコンピュータの基本構造になるべきではないか。そして自分の道具を自分自身で作り込んで行く、便利にしていく、カスタマイズしていくという「考える道具の最適化」をもっと簡単にできるようにしていくべきではないか。

 そのためには、我々が作り込むべきは表層のアプリケーションやユーザーインターフェースではなくむしろコンセプトとOSの部分なのではないか。そこから変えないと、新しい世代のコンピュータに移行できない。

 そうした役割を、かつては大学の研究室が担って来たはずなのだけど、学会という組織は組織で、プロダクトではなく要素技術が評価されがちな環境にある。新しいユーザーインターフェースパラダイムをもったコンピュータなんて誰も評価しない。仮に登場したとしても、それを実用化して製品化できる会社は数少ない。なにしろあのNECが膨大な人材を投入してなお、製品化に踏み切れないのだから。もっと思い切った、もっと突っ込んだこと、人生で一度でいい、思い切りそういう仕事をしてみたい。

 自分の足で立って、たとえ誰もついてきてくれなくても、孤高のコンピュータを作ってみたい。自分たちが思い描く、未来のビジョンを示すようなものを。うまくいくか、いかないか、それは解らない。けれども自分でやると決めたことを、最後までやり遂げたい。

 それからもう2年が経った。