分かるということ

「考えるものたち」
p233(ページ訂正)
「わたしたちは、観察ではなく操作することによって学ぶ」

自分がしてきた勉強は主に「観察」だったのだろう。
「操作」→実際に手を動かしてやった体験・経験 によって学ぶことが欠けていたのだろう。

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以下のWebで望遠鏡と顕微鏡の違いを分かりやすく解説したものを読んだ。

光学機器の話
http://hr-inoue.net/zscience/topics/optics/optics.html
「いろいろな研究開発をやっていると、その時々で光学機器のお世話になります。ルーペや顕微鏡は当然のこと、資料作りや発表にはカメラや映写機が欠かせませんし、光を使った測定装置の中には複雑な光学系がぎっしりです。これらの光学機器の細かい説明をここでするつもりはありません。しかし、私自身が昔からレンズやプリズムが大好きで、望遠鏡やカメラなどをよく手作りしていたこともあり、普通は多分気に留めないでしょうが、よく考えてみるとおもしろそうな、いくつかのトピックスを紹介してみようと思います。」

光学を勉強し始めてもう7年位になる。
なんとなく分かったような気にになってきたが、実はまだ腑に落ちていない知識が多くある。
ただ、それが何なのか言葉で言い表すことは難しい。
この記事を読んで、自分の本当に望んでいた方向性が見えてきたような気がする。
Try & Error、試行錯誤 を楽しむこと!

以前、インドの理系大学が実践・応用を重視した教育プログラムを実施しているテレビ番組を観た。
その時、これここそ自分が幼い頃静大のピャンパスで観じた空気感、科学者への憧れの原点のような気がする。

Googleと色々ある
https://sites.google.com/site/masaladoori/home/rin-ku-hiroba--gakkou-kanren-hen/rikou-kei
http://sekaishinbun.blog89.fc2.com/blog-entry-168.html
バンガロール
http://unohideoblog2009.seesaa.net/article/120472335.html


今にして思うと、この時の憧れは、まさに学問とリアルが結びついて瞬間の驚き・喜び体験なのではないか?
最近。表三郎の「日記の魔力―この習慣が人生を劇的に変える」を再読。
自分のルーツをひも解いていくと、案外このあたりに原点がありそう。

光学機器の話の作者は恐らく化け学が専門らしいが、この記事を読むと実に分かりやすく光学の基本について説明してくれている。
恐らく、↓の記事にある、アウトプットによるフィードバック・ループを形成してきた人なのだろうと推察される。

小学校の頃、理科実験室は暗い木造校舎の一階にあった。
確か1〜2年生時はその古い建家に教室があったはず。
そこには、未知との遭遇のような謎めいた雰囲気があった。
理科の先生は鈴木一男先生という無口なまじめそうな方だった。
科学系が好きなのは、多分に兄の影響が強いと思うのだが、記憶を遡っていくと興味の流れを感じる。




「 ITを生かした学び」とは? IT時代の教育とは? 第8回
https://cakes.mu/posts/4529
「学びにITを生かすこと。それはITを生かしたフィードバック・ループを形成するということです。フィードバック・ループが欠けた学びは、そもそも学びとは呼べないかもしれません。」

学びにITを生かすこと。それはITを生かしたフィードバック・ループを形成するということです。フィードバック・ループが欠けた学びは、そもそも学びとは呼べないかもしれません。
 勉強というと、授業を聴いたり、ノートを取ったり、何かを暗記をしたりと、ひたすらインプット作業することををイメージする人が多いのではないでしょうか? 私も長らくそんなふうに考えてきました。そして現実の学校のシステムも、ほぼそのように設計されています。例えば、自分の中高時代を振り返っても、こんな感じです。

英語・・・単語、熟語を暗記。和訳/英訳の反復練習。
数学・・・公式を暗記。与えられた演習問題をたくさんこなす。
国語・・・漢字を暗記。教科書を読む。普通の物語を沢山読む。
理科・・・丸暗記。
社会・・・丸暗記。

 勉強のある部分を暗記や反復練習といったインプット作業に費やさなければならないのは当たり前の話です。しかし、学習とはそもそも、インプット作業を繰り返して記憶することなのでしょうか?

学習に欠かせないアウトプット
 ここでちょっと私自身の例を振り返ってみましょう。英語、プログラミング、水泳、合気道、ヨット、マネージメント、幼児教育、最近は作家業と随分色々なことに手を出してきましたが、そこそこカタチになったものは、すべて学習の一環として大量の「アウトプット」を伴ったものばかりです。学校の勉強「だけ」だったものは、ほぼ全滅と言っていいような有様なのです。